縁と恩で紡いだ30年

30th anniversary We wouldn't be the team who we are without you all

Interview 30周年記念 代表インタビュー

YEAR 1992 Takashi Kawaguchi, 32 years old The departure of the ANCHOR. 創業。ANCHOR誕生。


9月28日、商業店舗の裏手階段から上がる2階事務所にて一人で創業。
日本列島が土地バブル崩壊の真っ只中、しっかりと地に足をつけて、希望をつなぎ頼りになる存在、頼みの綱になろうという想いで社名を「ANCHOR(アンカー)」とさせて頂く。

Indispensable person

不動産賃貸管理の祖、濱村 和明

独立後、不動産免許が下りるまでの期間、日本一と云われる不動産管理会社が主催する研修合宿に参加。北九州の地で出会ったのは不動産賃貸管理の祖である故・濱村氏でした。ここでの学びは、単なる管理システムやハウツーに留まらず、これからの不動産業界、お客様への想い、事業経営に携わる者の高い人格性など、この後のアンカーストーリーの礎となりました。

Indispensable person

縁と恩を教えていただいた、常見 倉平

前職時代に担当していたお客様、取引先への接触は義に反すると感じ控えていた。独立から2年が経ったころ常見氏より連絡があり「川口さん、あなたに頼みたいんだ」との言葉をかけて頂き、これが今のアンカーと建物オーナー様たちとの付き合いの原体験に。

Indispensable person

事業経営の師、須永 勝久

アンカーを象徴するレッドのロゴ(レッドバッチ)は、須永氏との禅問答の中で生まれたもの。須永氏は話しをする度に、常に2,3歩先を見据えており、本質の捉え方、事業経営を柔軟に多面的に思考してゆくことなどを指南して頂きました。その先見性と眼力には常に感服、感心させられます。須永氏との禅問答は、今のアンカーの事業体勢に大きな影響を与えました。

YEAR 1995 The RED patch pride. レッドバッチの誇り。


「これを見たらアンカーだ」と一目でシンプルにわかるものをと、経営の師・須永氏からの薫陶を受け、考え抜いた末辿り着いて生まれたのがアンカーの象徴、赤い看板「レッドバッチ」。

YEAR 1996 Our Family as a driving force ANCHORの原動力のひとつ。


創業2年目位まではほぼ一人で駆け回る日々。3年目に長男が誕生し、妻であり副社長の雅子は出産後すぐに職場復帰。スタッフも一人増え子守をしてもらいながらの経営に。

Indispensable person

祖母、川口はな 運命のコロンバスタワー

浄運寺様の土地にマンションの建築の話しが持ち上がる。まだ創業から4年程度の駆け出しの不動産会社として、大手や老舗と企画案を競いあうことに。川口家菩提寺でもある浄運寺へ挨拶に伺った際にご住職から見せられたものが本堂の人天蓋でした。そこには祖母である故・川口はなの名が寄贈者として書かれていました。何となく聞き及んでいたものの、祖先からのご加護、生かされている感謝を実感し、気づくと目はうるんでおりました。企画候補の一社としてプレゼンさせて頂くご縁を頂き、結果的にアンカー初の鉄筋コンクリートマンション「コロンバスタワー」が完成しました。

YEAR 1997 The point of origin for ANCHOR style. ANCHORスタイルの起点。


ANCHOR初のデザイナーズマンション、河鹿ロックガーデン完成。「一つたりとも同じものをつくらない」というANCHORスタイルの起点がここに

Indispensable person

ANCHORスタイルの生みの親、故・板井宝一郎氏と河鹿ロックガーデン

今までの画一的な間取りに違和感を感じていて、より住む人に合わせた住空間を提案するにはどうしたらよいかを考えた末、行きついたのが「一つたりとも同じものを創らない」というANCHORスタイル。そのきっかけとなったのが、建築家、故・板井宝一郎氏との初共作となる「河鹿ロックガーデン」です。住む人のことを考え創作した家は結果的に「デザイナーズマンション」としてシリーズ化していくことに。その後、故・板井氏とは、計20棟の案件を一緒に手掛けることに。悠久の時を経ても色あせる事のない、自由でチャーミングでありながらも普遍的な空間を創りだす“板井マジック”。アンカーの空間デザインを長きに渡り担って頂きました。

YEAR 1999 The first office relocation 1度目の事務所移転。


7年間立ち上げから創業の苦楽を共にした事務所から、縁と恩で紡ぎ飛躍の起点となったコロンバスタワーへ本社を移転。

The renovation of NOKOGIRI-YANE factory のこぎり屋根のバトンタッチ。


桐生を象徴する「のこぎり屋根」を持つ、大谷石造りの旧織物工場(登録有形文化財)を、ヘアーサロンへ再生。桐生の職人文化を未来へ。

Indispensable person

「陰徳」の人であり、大切なパートナー、大澤寛之

ANCHORが30年間続いてきた理由の一つが仕事に於いての「パートナー」の存在。
大澤氏は電気関連の部分でアンカーの管理物件をサポートしていただいています。
ある日、日ごろお世話になっているので大澤氏に大きな案件の紹介をしたところ、「アンカーの管理物件のライフラインを任されているので、いつでも動けるようにしていないといけないので」と、申し訳なさそうにご辞退された。
アンカーのパートナー会を発足した折には、大澤氏にその代表になって頂いた。
誰からも信頼され、見えないところでの行いや気遣いが素晴らしく「陰徳」というものの大切さを大澤氏からは日々学んでいます。

YEAR 2000 City regeneration 桐生の中心市街地の再生へ。


管理戸数が300室を超え、市内にも“レッドバッチ”が目に付くように。さらなる桐生への貢献に向けて、ANCHORだからこそできる地域活性、まちづくりを本格稼働。

YEAR 2002 10th anniversary event 一人ひとりを大切にし辿り着いた10年目。


縁と恩で繋がった人々に支えられ気づけば創業から10年。家族だけで動き出したアンカーは総勢8名に。オーナー様やパートナー様へ感謝を伝える場として、「創業10周年感謝式典」を開催させていただく運びに。

Indispensable person

株式会社 BONDS INDEX川邊日出海 氏(東京)平井克典 氏(大阪) 竹下雅一 氏(福岡)髙木秀邦 氏(東京)土佐秀之 氏(東京)

不動産の勉強会で知り合い意気投合した不動産会社の社長さん達6人衆。
「不動産を超えて新しい風を」との志で新会社を共同創業。
同志であり啓発し合う友でもある。
各人が各地域・各分野で挑戦しながら、ボンズメンバーとして多面的に連携している。

YEAR 2007 Matching a community 縁をいただく側から、結ぶ側へ。


人と建物の縁結びを行う市民ボランティア活動に参画。
桐生でも有名な登録有形文化財の建物を、創作フレンチレストランに再生。

Indispensable person

前を向き生き抜く力を貰った、中尾彰宏

地域貢献活動を通じての縁で出逢った佐賀の中尾氏。歯科医であった彼は30歳の時に事故で車椅子生活となり、障害者が感じる世界に触れる。それに挫けることなく、もともと健常者であった自分だからこそわかる両方の立場から考えられる社会課題を解決するために起業。車椅子社長となる。社会的弱者の居住支援サポートしながら、障害者が障害者を見守る、という障害者の自立に取り組んでいる。陰日向無く、変わることのない胆力を持って前を向いて生きる中尾氏の生き方に後輩ではあるがリスペクトしています。いつか日本代表サーファーとしてパラリンピックに出場することにも挑んでおります。

YEAR 2011 Win an esteemed award 縁を繋ぎ、未来を創る。


国交省の外郭団体、不動産流通近代化センター(現・公益財団法人不動産流通推進センター)より、未来につながる先進的取り組みとして、「未来につながる不動産コンサルティング」と「地域を元気に!マスター」のダブル受賞。
審査委員長を務める故・堺屋太一氏より「東京一極集中の時代は終わった。ぜひ地域から、民間から、未来へつながる新しい日本を創っていただきたい」とのお言葉を頂く。

Indispensable person

酒井会計酒井豊 先生

先生とは創業者同士という事で通じ合える事が多く、創業以来会計を見て頂いている。
独身時代の家内は酒井会計さんに勤務しており、それが縁で家内と知り合いました。 結婚した頃のアンカーはまだ小さく資金もない状態でしたが、豊先生が陰に陽に応接して下さり何とか乗り切りました。生涯のご恩を感じております。
当時、家内によくなついていた先生の3歳の息子さんが、今では公認会計士となり桐生に戻って来られ、二代に渡るお付き合いを。

YEAR 2014 Real Estate company x Community Renovation 不動産業×まちづくり


大きな分岐点となる古民家カフェが旧角田邸にてスタート。まちづくりに於けるプラットフォームが誕生。

Indispensable person

まちづくりへのターニングポイント、角田夫妻と

創業20年目あたりから、色々な内容(移住・起業・事業承継・相続・子供の事・親の事・老後の事・イベントなどなど)などの相談にぜひ乗って欲しいという方々が増えてきました。そこで、まちなかで人が集い、気軽にコミュニケーションを取れるような拠点を創りたいと物件を探し始めました。
一方、まちづくり市民活動を長年ご一緒させて頂いた角田氏は、その集大成として築85年以上の住み慣れた自宅を街のために何とか活かせればと考えておられました。アンカー側ではようやく物件が見つかり契約間近の時に、角田氏より「街のために活かしたかったが、中々使い道や借り手も見つからず、残念だが解体することに」と連絡が。その夜、家内と角田邸を改めて外から見に行きました。私の頭の中では鐘が鳴り、家内は「そうだここよ!ここならみんなが集える場所を創れそう」ここをまちづくりに使わなければ無くしてはいけないと直感的に強く感じ、計画中の案件を謝罪し断り、角田ご夫妻に「ここをアンカーでまちづくりに使わせて下さい」と申し出ました。夫人である洋子さんが「あなたが一番望む形になったんじゃない」と云い、角田さんは目を赤くされ私の手を握ってくれたことが忘れられません。

YEAR 2017 Connecting the dots 点から線へ。線から面へ。面から球へ。


を起点に様々な人や想いが繋がり線となり、そこから同じようなニーズを持つ人たちのアウトプットが生まれ、さらにそれが交差して地域を創っていくことに。リアルタイムで進むまちづくりがここに。

YEAR 2020 Opening the ANCHOR Building 自社ビル完成


約20年間を共にした「コロンバスタワー」内の事務所を、現在の本社自社ビルへ移転。一緒に働くメンバーは総勢14名に。ANCHORのネクストステップに向けて、万全の体制、環境へ。

YEAR 2022 Be "Community Creation Company" for the next 10years ANCHOR 30周年。桐生から世界へ。


30年目を迎え「コミュニティ創造カンパニー」として桐生を全国へ、そして世界へ。地域とそこで生きる人にとっての頼みの綱としての期待を担う次の10年を。